駄文型

意識低い系エンジニアの日記です。

ブラタモリが面白かったので少しだけ調べてみた

ブラタモリが3年ぶりに復活し1月6日に放送された。4月からレギュラー番組として復活するようで,今回の放送はそれに先立った特別番組だ。舞台は京都。いいともが終了になったおかげで地方ロケに行けるようになったようだ。

番組の内容

キーワードは「京都の巨大プロジェクト」。京都の衰退の危機を救った「琵琶湖疏水」「御土居」「新京極通」という3つのプロジェクトの軌跡をだどる。

明治2年(1869)の東京遷都が京都の街に与えた影響は大きかったようだ。幕末までは倒幕の気運高まる政争の中心であった京都だが,遷都によって一気に人口が減少した。その危機を救い,京都の近代化プロジェクトが「琵琶湖疏水」と「新京極通の整備」だ。御土居は遷都関係ない。時代違うし。

琵琶湖疏水

琵琶湖疏水とは,その名の通り琵琶湖から京都まで水路を引いて流通路にしようというスゴい疎水事業。その規模は当時としてはかなり大きなものであったらしい。当時の重大な工事はすべて外国人技師に委ねていたが,この疎水事業は日本人によって遂行された。その意味では,この琵琶湖疏水事業は我が国最初の大土木事業と言えるのかもしれない。疎水は水力発電にも利用された。京都スゴい。

京都市上下水道局:琵琶湖疏水の歴史(1)

 日本人の技術で行う土木工事としては,今までに例を見ない大工事であり,当時の未発達な土木技術や貧弱な機械・材料に悩まされながら工事を進めました。工事の遂行に当たっては,ダイナマイトとセメント以外の大半の資材を自給自足し,夜に技術者を養成,昼には実践するという現代ではおよそ想像もつかない努力の積み重ねでした。

 疏水計画は着工前後に何度も変更されましたが,最も大きな変更は,工事の途中で田邉朔郎ほかが水の利用方法等について米国へ視察に行き,水力発電の実用化に踏み切ったことです。

 明治24年,蹴上に日本最初の商業用水力発電所が稼働したことは,我が国文明史に大きな足跡を残しています。

新京極通

新京極通はそれまで寺院の境内だった場所をぶちぬいて作られた。料亭・飲食店・商店・見世物小屋などが立ち並ぶようになり,今では重要な京都の観光地のひとつになっている。

御土居

御土居は上記ふたつの事業とは異なり,秀吉の時代に作られた京都に作られた土塁。長い戦乱によって荒れ果てた京都の防衛と防災を目的として築かれた。

京都市:御土居

 台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口丹波口などの地名はその名残です。

 江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり,また市街地が洛外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残をとどめるのみとなりました。

 昭和5年(1930),市内に残る御土居のうち8箇所が,京都の沿革を知るうえに,また,広く我が国における都市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定,昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加され,現在9箇所が指定地となっています。

 また,これら指定地以外では,北区の大宮交通公園内や中京区の北野中学校内でも,部分的に御土居が残っています。